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佐藤 英之
さん
(Niche [ニッチ] 編集者)
批評社 WEBサイト
映画 『オオカミの護符』に投影された人びとの絆
自然へのひたむきな眼差しは、共生へと向かえるか
川崎市の土橋(つちはし)という地域の情景―都市化した交通網と密集した住宅地の中に垣間見える竹林と点在する畑作地―からこのドキュメントは始まる。この地域に住む人びとの自然への畏敬の念が、今も古老の生業や話の中に息づいている。作者たちの意図は、「関東一円の“お百姓”の表情や語りの持つ“真実”な姿には、世代や国境を超えて共感いただける“こころの世界”」を「オオカミの護符」に込められた信仰のなかに見出そうとしている。
「オオカミの護符」は、家々の門柱や納屋、家の中に貼り付けられていて、信仰というよりも、人びとの生業や生活が平穏に維持されていることへの祈りのようにみえるが、「名もない庶民の“暮らし”の中に宿る、風土に対する素朴にして深い信仰の姿に、これからを生きる私たちが、最も大切にすべきものがあると信じ」ている。土橋の人たちは、昔から講元を交替しながら御嶽講を継承していて、御嶽神社への参拝を欠かしたことがない。日頃忘れがちな自然への崇敬の念を毎年思い出させてくれるイベントのようだが、これは神道というよりも自然信仰に近い祈りのように見える。
この祈りは、自然の恵みの象徴として「お山」を崇める山の民の姿にも生き続けている。神官のお祓いとともに鹿の骨を焼いて、骨の割れ方で吉凶や作物の出来不出来を占う神事が行われるが、神事の結果を農家の人が分析して作柄の出来不出来を予想する。伝承文化とはこうしたものかと考えさせられた。
都市社会はそうした人間の初原の精神や伝承文化を忘却させる。この地球上に最後に登場した人間という生き物は、自然を破壊しなければ(自然の恵みを効率的に吸収しなければ)生きて行けないという宿命を人類史のはじめから原罪のように担わされてきた。いま、理念としての自由と生活としての自由をどこでどう折り合いをつけるのか、地球規模でこの難問を突き付けられている現在、映画「オオカミの護符」は、いま一度、都市社会の生活を振り返って考えることを、私たちに問いかけているように見える。
作者たちの「オオカミの護符」への想いは、雑草のように逞しい。この映画の「顔の見える小さな上映会を各地で行って参りたいと存じます」というメッセージに込められた熱い視線が多くの人びとに共感されることを期待したい。
(Niche[ニッチ] no.23 批評社 より) |